無題 ω-force 2010年07月03日 『毒入れ民部憑く』という元親公絡みらしき小説を入手。時代小説は著者のイメージで人物の固められてしまうのがちょっと嫌で、あんまり読まないんだけど……気になります、はたしてどうでしょうねえ。あまりよく知らない人なら、こういう事をした人なのねと一生を通しで見られるからいいんだけど、少しでも知ってる人だとイメージと違う=読み進め難くなるから駄目なんだろうな。逸話とか読んで、人物のイメージを固める方が自分には合ってるらしい。でも時代小説は全く読まないぜって訳じゃなく、本棚の一角が埋まるくらい好きであります。特に二宮隆雄氏の『長宗我部盛親』は良かったな。まさか時代小説で弘親な記述を読めるとは思ってなかったから。よかったなあアレは。おかげで後半の展開覚えてねえです。弘親っていうより義弘←元親って感じだったけど、でも何で敬愛しているなんて描写を入れたのか、著者様に是非お訊きしたかった。元親さんの義弘さんへのあの敬愛っぷりはすげえや。脳内補正も勿論あるかもしれないけど、何か意外だった事もあって凄かった。そういった伏線が回収されてないだとか、全体的にあっさり過ぎだとかで、あまり評価が高くないんだよね。それが残念っていうか、何というか。著者様もお亡くなりになられているしもう”敬愛っぷり”の謎が語られることは無いんだね……。「自分が死んだら夏目漱石に『明暗』の続きを聞きに行きたい」と語ったライターさんの話を聞いたことがあるけど、二宮氏にこの小説の謎を聞きに行きたい思う。元親さんに何故そういった役回りを持たせてみたのか、どうしても気になります。戸次川的な意味で。だけど土佐と薩摩って気風が似ていたりするんだなあと、色々調べてて思ったこともあります。一衣帯水ゆえ、と評していた本もあったかな。元親公の半生は忠良公(日新斎)の半生とも似ていて、手本にしたところもあったんじゃないか、とのことが書かれていて興味深かった。この辺関係してるのかな。でも二宮氏に聞いたところで、多分「そんな本あった?」と云われてもおかしくないんだよなあー、特に何も無いんだろうなあ”敬愛っぷり”の理由。でも無いなんてことも無いんじゃないか? と思わせる要素は割とあるんですよね。気風もだし、同じように地方で戦いを繰り返してきてあと一歩だった時に秀吉公の征伐戦で負けた身だし、調べれば調べるだけそういうのあったらいいなが増し増しで膨らむんだよね、島津と長宗我部って。……そういえば土佐のよさこいも薩摩絡みの話があるみたいだし。どっちからどっちというのは分からないけど、伝わって変形していったんだとか。歌詞の中にも薩摩おろしってあるし、これ聞くと土佐薩摩は一衣帯水の地域っていうのも真実味があるような気がするんだ。おろしって風の事だしね、確か。もともと”夜に来い”っていう言葉が訛って変わって”よさこい”となった説もあるようだしさ。って事はよさこいって元々は艶っぽい歌だったのかな? それとも友達に対して酒飲みに来いや的な意味だったのかね。どちらにしても良い萌えだね。坊さんかんざしも良い感じ。まあそんなこんなで、うちの元親さんは日新斎様のいろは歌が歌えます(突拍子無い)。島津家を密かに敬愛してます。その中でも特に義弘さんを。無論です! 弘親ばんざーい! ばんざーい! PR